山梨県上野原市で唯一の在宅療養支援診療所「上條内科クリニック」を運営する上條武雄医師。多職種連携による在宅医療・介護の質的向上のために、ICTツールを導入している。なかでもMCS(メディカルケアステーション)は、医療・介護の枠を超えて地域共生社会を実現するために必要なツールだという。上條医師の取り組みを辿った。
行政スタッフもMCSの患者グループに参加し、地域連携を進める
厚労省主導による在宅医療・介護連携推進事業が全国で進んでいるが、上野原市の取り組みは2014年からと早い。また、「切れ目のない在宅医療と在宅介護の提供体制の構築」、「在宅医療・介護関係者の情報の共有支援」、「医療・介護関係者の研修」などいわゆる「8事業」への着手は、2015年から始まっている。しかし、さらにそれよりも早い2011年から、在宅療養支援診療所「上條内科クリニック」を中心としたグループが、ICTソリューションを活用した情報共有体制を構築していた。その中心にあったのが上條武雄医師だ。上條医師は、2011年以前に、在宅医療支援に強い横浜市のクリニックに勤務した経験がある。ここで得た多職種連携のノウハウが、上野原市での実践につながっている。
「上野原でも当初は情報共有のために大規模システムを有料で導入する動きがありました。しかし、利用者の自己負担でシステム運用を続けることは困難です。そこで無料で使えるツールを精査し、MCSにたどり着きました」そう上條医師はMCSとの出会いを語る。説明会を重ねた末、上野原市が医療介護連携の多職種間情報共有ツールとしてMCSを正式採用したのは2016年のことだ。
現在、多職種連携にMCSを使っている職種は、医療系では医師・歯科医師・訪問看護師・薬剤師・リハビリ専門家など。介護系ではケアマネージャー(以下ケアマネ)・介護ヘルパーサービス責任者・デイサービス・ショートステイ・特別養護老人ホーム・有料老人ホーム・サービス付き高齢者向け住宅・福祉用具会社・訪問入浴・訪問リハビリ・訪問マッサージの専門家など、医療介護に関わるほぼすべてだ。グループを作っているのは、疾患に関係なく、上條医師の在宅医療患者すべてで、現在患者65名分のグループがある。その他、上條医師は参加しない、ヘルパーとケアマネだけ、あるいは保健師とケアマネだけで作る自由グループもあり、さまざまな情報交換が行われている。
特徴的なのは、上野原市の地域包括事業支援センターがMCSに実際にログインして患者タイムラインに参加するなど、積極的にMCSへ関与していることだ。同センターの登録アカウント数は154名で、その中にはセンターに属する主任ケアマネージャー、社会福祉士、保健師や、社会福祉協議会に属する生活支援コーディネーターも含まれている。さらに、上條医師が個人的に招待したアカウントも数十件あり、「合計170~180人。人口2万4000人の市にしてその割合は大きい」と上條医師は言う。
行政職も参加する「認知症初期集中支援チーム」の具体例
ある認知症患者を軸にした「認知症初期集中支援チーム」における多職種連携を事例としてみていこう。
上條医師は、上野原市の認知症初期集中支援チームの一員だ。認知症初期集中支援チームは、複数の専門職が家族の訴え等により認知症が疑われる人や認知症の人及びその家族を訪問し、アセスメント、家族支援などの支援を包括的、集中的に行い、自立生活のサポートを行う。このサポートグループには、主治医兼認知症サポート医として上條医師、行政職として地域包括センターの主任ケアマネージャー、市役所付きの社会福祉士、社会福祉協議会の生活支援コーディネーター(認知症患者支援の地域作りを担当)が参加している。さらに民間の居宅支援事業所のケアマネージャー、訪問看護師、介護ヘルパーなども含まれる。
「この患者さんは独居で生活保護を受けているのですが、行動異常の症状が見られ、日頃から近所とのトラブルが絶えない。たとえ医療介護支援が軌道に乗ったとしても、地域の対応力が上がらなければ、いずれ壁にぶつかるという予感がありました。一人の患者さんを支えるためには、地域の住民啓発を行い、地域の体力やスキルを上げていくことが大切なのです」上條医師は強調する。
「通常の初期集中支援チームは、医療や介護の支援が始まれば、基本的には役割を終えます。しかし、それだけでは患者さんは地域の中で生きて行けない。まだまだ世間は認知症の理解が足りないし、偏見も多くあります。だから、患者宅だけでなく、地域コミュニティにまで入って、「受け皿」の対応力を上げる必要があるのです。そのためには、地域を担当している生活支援コーディネーターのMCSへの参加が欠かせません。実際このケースでは、社会福祉士や主任ケアマネは市役所の地域づくり担当とのパイプ役になってくれました」
行政が入ることによるメリットはこんなところにも現れている。
例えば、患者さんの財布の管理は社会福祉協議会の担当スタッフがしているので、患者と医療介護スタッフとの間で、「財布がなくなった」などの妄想によるトラブルが発生しても、協議会スタッフが患者宅を訪問してフォローし、解決してくれるようになった。
しかし、多職種連携に行政職を巻き込み、情報共有ツールでコミュニケーションを活発化させることは簡単なことではない。MCS導入初期には、「総務省のガイドラインに準拠しながら、どうすればMCSを使えるようにできるか?という視点での行政の取り組みが必要だ」と、上條医師は説明会の場で強調。ガイドラインに準拠して、それに対応した運用体制を構築することで、MCSを使えるように環境を整備した。従来の規定をそのまま杓子定規に適用するだけでは、決して新しいツールは現場に浸透しないのだ。行政職がMCSのグループに参加することで、行政スタッフの意識も少しずつ変わってきた。
「認知症患者の在宅介護の現場が見えていない行政職は、MCSで現場の生々しい声が伝わると、それが新鮮に聞こえ、仕事のモチベーションにつながっています」
1/3の患者家族が参加。わかりやすい言葉を心がけ、診療の質の向上へ
上條医師は、MCSの活用で、多職種間のコミュニケーションが濃密になり、結果的に診療の質が上がることも、大きな変化と感じている。
「褥瘡ケアなどこれまで看護師にだけ指示していたものが、MCSでは看護師以外の職種も読むため、さまざまな職種、さらに家族にも伝わるように、できるだけ専門用語を使わない工夫をするようになりました。専門用語だけで喋っていると多職種連携は進まない。家族もわかるということは、ケアマネやヘルパーにも理解できるということ。地域の中で連携の大切さを訴えるときも、みんながわかりやすい言葉を使うべきだ。MCSを使うことで、そういう気づきが得られました」
患者グループに家族の参加を求めるのは、上條医師の方針だ。基本的にすべての患者家族に声をかけており、すでに3分の1の患者家族が参加している。MCSのタイムラインを見ることで、遠く離れて住む家族・親族も、患者の状態をそばで看ているかのように把握できるようになる。
「2018年1月に看取った患者さんの場合、娘さんが正月の帰省時に、患者(父親)の病状がよくないと感じました。自宅に戻ってからもたびたび母親に電話するが、要領を得ない。しかしMCSを見ると、病状だけでなく、看病の母が疲弊している様子まで手に取るようにわかるようになったのです。MCSで状況把握ができるので、逆に遠方の娘から患者の近くにいる母親に対して、父親の病状を説明するという場面も生まれた。「臨終には間に合わなかったが、まるで側で看取っていたかのようだった」と娘さんは後に感想をもらしてくれました」
もちろん、MCSの運用にあたっては、家族がタイムラインに参加すると質問が増えて困るという医療職からの声がないわけではない。それについて上條医師は、「私が家族に「医師は返事ができないこともある。本当に緊急の場合や、答えを確実に欲しい場合は電話をして下さい」と言っています。MCSには読んだことを伝えるボタンがあるが、既読だからといって医師がすべてにアクションするとは限らない。それは前提としてご理解いただいています」。
実際はMCSを導入することでFAXや電話の本数が減少することを、上條医師は実感している。
「ケアマネジャーから医者に問合わせするためのFAXが、日に20~30件送られていたのですが、FAXよりもMCSで連絡して欲しいと要望しました。結果的に何の問題もなかった。現状、FAX連絡は、退院患者さんの在宅医療に関する病院からの新規依頼だけです」
地域共生社会実現のためのプラットフォームづくり
「お年寄りも障害者も含めて『わがことまるごと』という地域共生社会実現のためのスローガンがあります。その実現には、全職種を含めたプラットフォーム的な場所が必要です」と上條医師。2018年夏には、物理的なプラットフォームとして、クリニックから車で10分のところに、上條内科クリニック付属多目的施設「桂川てらす」をオープンした。ログハウス風の建物には、複数の会議室や作業室があり、地域住民であれば誰もが自由に参加できる。
「多職種連携をさらに地域全体に広めるために、ここで自由な議論や勉強を重ねたい。お互いが顔見知りになれば、これまでは参加していなかった、地域の区長や役職者、民生委員など地域の人とも繋がることができる。その中の情報共有ツールの一つとしてのMCSに参加するハードルも低くなります。一つのケースでMCSによる情報共有の便利さを感じてもらったら、それがさまざまなプロジェクトに広がる。例えば防災や避難訓練のプロジェクトチームなどです。地域住民がみなMCSのアカウントをもって、LINEのように毎日どこかのグループにアクセスする習慣をつけてもらうのが理想。そうなれば、プロジェクトチームは大きな力を発揮するはずです」
そうした地域社会の動きを行政職が支援したり、求めに応じたりして弁護士などの専門家が参加することもありうるだろう。
「ただ最初から、必然性を感じていない専門職を並べるより、まずは現場からチームを作ってその輪を広げることが重要。その順番が大切です」と上條医師。
「MCSなどの便利なツールがなかった頃、先輩たちがコツコツと地域に入ってやっていたことを、今後はもっとシステマチックに展開したい。上野原は街が小さいからこそそれができる。地域が支える在宅医療介護の施設を、私はここで作りたいのです。地域のために頑張っているたくさんの人が、もっともっと有機的に繋がることができたら、医療介護の枠を大きく超えた地域共生社会の実現に近づけると確信しています」と語る。
この記事のポイント !
・上野原市は2016年に医療介護連携ツールとしてMCSを採用し、行政を含めた医療介護に関わるほぼすべての職種が参加
・「認知症初期集中支援チーム」では行政も含む多職種連携で患者をサポート
・上條医師の患者グループは在宅医療患者すべての65名分が存在。上條医師が参加しない自由グループもあり、さまざまな情報交換が行われている
・家族のMCS参加を積極的に呼びかけており、3分の1の患者家族が参加し情報共有している
取材・文/広重隆樹、撮影/平山諭、編集/馬場美由紀