大阪府南部に位置する堺市は、大阪市に隣接し、臨海コンビナートと泉北ニュータウンを抱える人口約83万人の政令指定都市。24診療科・病床数678を擁する大阪労災病院は、市の地域医療を担う中核病院で、がんセンターを中心としてチーム医療に力を入れる、地域がん医療連携拠点病院でもある。他の地域同様、高齢患者も増えているこの病院で、抗がん剤の服薬管理・副作用マネジメントのためのICTツールとしてMCSが導入されたのは2018年11月のこと。導入に至った経緯と活用事例について上部消化管外科部長・化学療法センター副センター長の川端良平氏に話を聞いた。
■PROFILE
川端良平(医師)/大阪労災病院 上部消化管外科 部長/化学療法センター 副センター長
大学卒業後、大学院、市立病院勤務などを経て2014年より大阪労災病院へ。2017年より現職。チーム医療で「わかりやすい診察」を実践、体に負担の少ない治療を 行いながら最先端の「研究的治療」にも積極的に取り組む。2018年から胃がんで化学療法を受ける患者の副作用マネジメントのためにMCSを導入。“患者によりそう”をモットーに患者や患者家族とのコミュニケーションを図り、QOLと治療成績を高めるために尽力している。
「もっと早く言ってくれれば」という悔しい思い
「こんなに副作用が出ているなら、もっと早く連絡して欲しかった・・・」。胃がんの専門医として数多くの患者の治療にあたってきた川端氏が、抗がん剤を服用している外来患者を診察していてそう思うことがままあった。「高齢の患者さんは真面目な方が多くて、抗がん剤の副作用で食べられなくなっているのに『抗がん剤だからこれだけは飲まなくては』と思って薬を飲んでしまう。その結果、副作用が強く出て緊急入院になることもあったのです」。抗がん剤の副作用で食欲不振になり、水も飲めない状態になると脱水症状で腎機能が落ちる可能性がある。そういう状態で腎代謝の薬を飲むと薬剤の血中濃度が上がり、副作用がさらに重篤な状態になる。「副作用として現れる下痢も、ひどくなると脱水状態になるので危険です」。このような副作用が出た時は、早めに服薬をストップして体調を回復させるのが第一なのだが、対応が遅れると重篤な状態になり緊急入院になってしまう。もちろん医師も薬剤師も、治療開始前には副作用や休薬について説明しているのだが、このようなケースが後を絶たなかった。
そんな折、川端医師が目にしたのが海外のPRO(Patient-Reported Outcome)モニタリングに関する臨床試験のデータだった。患者がアプリを使って症状を入力したPROを定期的にモニタリングするケースと、通常の外来診察時に問診で副作用を評価するケースとを比べた場合、アプリで定期的にモニタリングしたグループの方が患者のQOLが改善し、かつ救急外来受診率が低下したという報告だ。「一番衝撃的だったのが、PROのモニタリングが生存率の向上に繋がっていたという事実です。このデータを見て、患者さんのためになることなら、我々も頑張って患者さんの“声”をタイムリーに聞かなければならない。それを実践するには何が必要なのか、ということでMCSにたどり着いたわけです」。
とはいうものの、病院でMCSを導入するには、個人情報保護やセキュリティに厳しい院内の倫理委員会の同意を得る必要がある。病診連携でMCSを活用したいと思っても倫理委員会がハードルになったという事例もあったが、大阪労災病院の場合はどうだったのだろうか。「導入に消極的なメンバーもいたのですが、先ほどの海外の臨床データの結果や、MCSの利用実績、セキュリティも担保されている医療介護専用のクローズドSNSであることを説明して納得してもらいました」。
服薬管理・副作用確認に特化した機能を利用
2018年11月にMCSが導入され、ICTを利用した服薬管理副作用マネジメントがスタートした。経口抗がん剤治療を行う、Ⅳ期の胃がん患者を対象とし、年齢の中央値は71.5歳。患者へのMCSの説明と同意の取得は医師が行うが、その後は薬剤師が中心となり、医師、薬剤師、外来看護師、患者(場合によって患者家族)が参加する患者グループを作成。患者のスマホやPCの設定のほか入力方法の説明も行う。
導入の目的である『タイムリーな服薬状況の把握と細かい副作用管理で副作用の重篤化を防ぐ』ために利用されているのが、MCSと連動させて利用することができる抗がん剤「ゼローダ」利用者向けの服薬支援アプリだ。患者は服薬記録の機能がプラスされたMCS画面で服薬状況(朝・夕それぞれ何錠服用したか、もしくは休んだかなど)や体調(元気〜かなり辛いまで、5段階の表情マークから選ぶ)、体重、気になる副作用状況(症状がでた部位、吐き気がある・下痢をしているなどの具体的な症状、痛みの有無、日常生活への影響など)を少なくとも1日1回入力し、定型画面だけで伝えられないことは、メッセージとして書き込む。患者の入力結果で重篤な副作用の可能性があると判断された場合は医療側だけにアラートが表示され、アラートが出たり気になる書き込みがあったりした場合は、医師や薬剤師の指示を受け、看護師が患者に電話連絡するという流れになる。
「これまでは、患者さんが抗がん剤の副作用をチェックして記入するノートを診察時に見せてもらっていたのですが、ノートを見て初めて1週間前からほとんど食べられてないことを知り歯がゆい思いをすることもありました。『なんでここまでなる前に電話しなかったの』と怒ってしまうことも。医者も薬剤師も前もって口が酸っぱくなるほど説明をしているのですが、伝わらない」。
川端氏が変化を感じたのがまずそこだ。「毎日患者さんの状態をチェックしているので、これはまずいかもしれないという状況を早めに把握して対応でき、副作用の重篤化を未然に防げます。特に胃がんの患者さんはすぐ食べられなくなったりするので、早めに細かい指示ができるのが助かります。体重を記入する機能で患者さんの栄養状態が客観的にわかるため、徐々に体重が減っていると、こちらから『大丈夫?』とフィードバックもできる。患者さん側としても、医師や薬剤師が毎日見ていてくれることに加え、これは副作用なんだろうかと疑問に思った時に質問すると、医療者側から返事が来ることも安心感に繋がっていると思います」。
医師と一緒にチェックを行う主任薬剤師の山下剛史郎氏にとっても大きな変化があった。「患者さんの日々の服薬状況や辛さの程度、副作用の状況を毎日確認できるようになりました。これまでは診察時に先生が記載したカルテの内容を見るか、3週間に1度の点滴治療の時に患者さんから直接話を聞く方法しかなかったので。また、副作用で緊急入院になっても、外来化学治療のスタッフに情報が還元されることは少なく、何がまずかったのかがよくわかりませんでした。しかし、患者さんの状況が毎日確認できることで、こちらの指示がきちんと守られているかがチェックできるようになり、患者さんのフォローがより確実になりました」。
年末年始でも適切な副作用対応が可能に
実際に川端氏が効果を実感したケースを見てみよう。47歳と若い胃がん患者で、2018年11月の入院時に抗がん剤を投与したが、吐き気と食欲不振のため休薬と補液を要し、2コース目は外来で減量投与することになったケースだ。開始時期が年末年始の休みに入るタイミングだったが、病状を考えると年明けまで引き延ばすことはためらわれた。また、治療開始後は間を空けずに症状を確認したいのに、年末年始を挟むと1週間以上経過が確認できない不安もあった。「週2回、もしくは最低でも週1回は確認したいところなのですが、それ以上に細かく見ておきたい場合もあるんです。それに高度に進行した患者さんの場合だと休みに入るからといって先延ばしにすると病状が進行し、治療のチャンスを逃してしまう」。
そこで12月21日にスタートした2コース目からMCSによる服薬管理と副作用チェックが始まった。服用を始めて4日目には、「嘔吐があり食事量も減ったので薬を止める」と患者からの書き込みがあった。「食事量が半分以下になったら抗がん剤はやめるよう指示していたのですが、吐き気どめの薬も一緒に休みます、と。それを見て、吐き気どめは服用するように指示したのですが、もしこのやり取りができず、患者さんが吐き気どめも一緒に止めていたら体調が悪化していたかもしれません。患者の食欲が戻らず体重が減り続けると点滴や入院の可能性もあったので、毎日様子を確認しました。すると、食欲も回復し水分補給もできている、嘔吐も止まって調子がいいというコメントになり、服薬を再開しました。治療効果もあり、MCSが有用だった事例でした」。
<【後編】に続く。後編は9月3日配信予定です>
取材・文/清水真保、撮影/貝原弘次