鹿児島市北部にあるナカノ在宅医療クリニックは、1999年の開業当初からICT活用による在宅医療システムの構築を図ってきた。院長を務める医師の中野一司氏(医療法人ナカノ会理事長を兼任)は、いち早くクリニック内に電子カルテとメーリングリストによる情報共有というICT化を図り、2006年には「在宅ケアネット鹿児島ML(CNK-ML)」を立ち上げたという、いわば医療介護現場へのICTツール導入の先駆者だ。現在、クリニックに訪問看護ステーション、サービス付き高齢者向け住宅(以下、サ高住)を併設し、メディカルケアステーション(MCS)を活用して患者・家族の思いを支え、多職種連携による切れ目のないチーム医療を実践している。患者家族と多職種の話も交えて、中野氏が推し進める地域包括ケアシステムの現場の姿を見ていきたい。
※記事内のタイムライン画像は実際と異なり上から時系列順になるよう並び順を記事用に変更しています
在宅医療×ICT活用のパイオニアとMCSとの出会い
2月20日16時。ナカノ在宅医療クリニックと併設する施設で働く医師、看護師、医療ソーシャルワーカー、医療事務スタッフといったメンバーがクリニックのミーティングルームに続々と集まり、訪問診療後のポストカンファレンスが始まった。中野氏の進行で、正面に掲げられた大きなディスプレイに電子カルテやメール画面を映し出しながら、その日に訪問した患者の状況を事細かに確認していく。検査結果に応じた処方の検討、看取りの患者の家族の気持ち、緩和ケアの患者の痛みの様子、がんの告知についての懸案などについて多職種間で活発に意見が交わされたほか、訪問日の確認やスタッフ面接のアポイントメントなど事務的な連絡も伝えられる。この場には、たとえ相手が院長の中野氏であっても、全スタッフが遠慮なく発言できる雰囲気がある。医師が上に立つことなく、全員が同じステージに立っている印象だ。これについて中野氏は「長くICTを使ってやりとりしているうち、多職種の中で階層構造がなくなり、私自身も障壁がなくなった」と話す。そしてもう一つ、このカンファレンスで印象的なのは、スタッフ全員が当たり前のように、過不足なくデジタルデバイスによる情報共有をしているということだ。理由はこのクリニックの成り立ちにある。
中野氏がナカノ在宅医療クリニックを開業したのは、「ICTを駆使して多職種連携で機能する地域ネットワーク型在宅医療システムを作りたい」との思いから。時は1999年、日本にようやくインターネットが普及し始めたばかりで、「当時、看護師さんは『そんなのいらない』と言っていたけど、『メールを使うのがうちの採用条件だから』と半ば強引に使ってもらうような状況」(中野氏)だったという。ICTといっても当時の主要ツールはメールと携帯電話。中野氏は情報共有のためのメーリングリストを作成し、多職種がスムーズかつ確実に情報のやり取りができるよう整備していった。その後、2004年に訪問看護ステーションを設立、2012年に在宅医療連携拠点事業をスタート、2014年にサ高住ケアタウン・ナカノを設立、2017年にナカノ在宅医療連携拠点センターを設立し、着実に地域包括ケアシステムの地盤を固めていく。その過程で中野氏が常に念頭に置いているのは積極的なICT活用であり、だからこそ冒頭で紹介したカンファレンスのような、デジタルデバイスによる多職種間の情報共有が今では「当たり前」となっている。
その中野氏が2013年、サービスをスタートしたばかりのMCSの存在を知る。当時から導入したい思いはあったが、クリニック内ではメールベースで情報共有が確立しており、実際にアカウント登録して使い始めたのは2017年10月のことだ。「情報のタイプやニュアンスに応じて適切な対応ができるよう、近々、今まで続けてきたICTシステムを大きく見直すことにしました。電子カルテはMCSと連動できるモバカルネット(NTTエレクトロニクステクノ)に切り替える予定なので、本格的にMCSを活用するのはそれからです」と話す中野氏だが、聞けば、すでに患者グループを作成、主に家族とのコミュニケーションツールとして使っており、患者や家族と繋がっているケースが20例ほどある。
丁寧な在宅ケアの様子を見て「ここは何かが違う!」と直感
中野氏はクリニックが担当している在宅患者だけでなく、ケアタウン・ナカノの利用者についてもMCSの患者グループを作成、家族に参加してもらって日々の連絡に活用しているという。今回、その1例について実際の家族に話を聞くことができたので、生の声をつぶさに伝えよう。
紹介するのは2018年9月よりケアタウン・ナカノに入居している草竹久美子さんの母・Aさん、86歳、糖尿病、認知症のケース。今回、娘である草竹久美子さんに詳しく話を聞いた。Aさんは20年以上糖尿病を患い、毎日のインスリン自己注射が欠かせない生活を送ってきた。自宅での介護が困難になり、当初は100人以上の利用者を抱える大規模な施設に入所したものの、納得のいくケアが受けられなかったことから家族の判断により20日ほどで退所させてしまったという。ところが「次に母を受け入れてもらえるところがなく困り果ててしまい、かかりつけの先生に事情を話して入院させていただきつつ、朝8時半から夕方6時ごろまで鹿児島県内の施設に片っ端から電話をかけました。それでも入所先が見つからず、すごいストレスになっていました」(久美子さん)。
そんな折、久美子さんがたまたま見ていたローカルテレビ局の番組でナカノ在宅医療クリニックが紹介されていた。「若い男性の栄養士さんがおばあちゃんに普段食べているものを聞いて、それを実際に本人に作ってもらい『これはすごくいいけど栄養素が足りないから、こういうものを足しましょうね』というような指導をしている、ほんの数分の映像でした。それを見て『絶対、ここは何かが違う!』と思い、翌朝すぐに電話をしたのです」(久美子さん)。ここからのナカノ側の対応は早かった。すぐにAさんの当時の主治医に連絡を取り、中野氏やケアマネジャー(以下ケアマネ)はじめケアタウン・ナカノのスタッフと家族を交えて話し合いが行われる。まずはナカノ在宅医療クリニックの訪問診療とナカノ看多機(看護小規模多機能居宅介護)の泊まり(ショートステイ)を併用することになり2〜3週間後には泊まりの利用がスタート、ようやく久美子さんも安心できる状態にこぎつけると、そこから3カ月後にはサ高住に入居し(ナカノ看多機を利用のまま)、現在も中野氏が主治医を担当している。
中野氏が診るようになってから、Aさんの状態は目に見えて改善していった。その要因のひとつは減薬。それまで大量に処方されていた薬の中から不要なものを中止し、徐々に処方薬を減らしていった。「薬を減らすと元気になるでしょう。処方する医師に悪意はないけれど、かかる医療機関が多いとどうしても収拾がつかなくなる」(中野氏)。それから適切なインスリンコントロールも功を奏した。Aさんはそれまで1日4回インスリンを注射し、食べる量も制限していたが、1日に何度も低血糖を起こす状態になっていた。そこで中野氏が食事制限をやめてインスリンの量をコントロールしたところ、やせ気味だった体重は増え「ぷっくりと可愛らしいおばあちゃんになった」(久美子さん)という。
現在の施設内でのインスリンコントロールについて、ケアタウン・ナカノ管理者で介護福祉士の入里千鶴子氏はこう話す。「中野先生から、ある値以上の血糖値の場合は毎回報告するようにと言われています。それによって毎食のインスリンの量がこちらに知らされる、というように、こまめに情報管理ができています。先生は『もう好きに食べさせていいよ、こっちでコントロールするから』とおっしゃいますが、あまり食べ過ぎないように注意して見ています(笑)」。久美子さんも「今まで長い間、食べたいものも食べられずに我慢していた母ですが、中野先生に出会えて本当に良かった。食べられることが本当に嬉しいみたいです」と頬をほころばせる。
“些細なことだが、知らないと困る”情報をMCSでやりとり
Aさんがケアタウン・ナカノに入所すると、早々に中野氏はMCSの患者グループを作成、久美子さんにも参加してもらった。現在、このグループの参加者は家族と医療法人ナカノ会のスタッフのみだが、法人スタッフをはじめ、外部の医療機関や事業所のスタッフなど50人以上が参加しているグループもある。もちろん医療介護スタッフ間の情報共有も目的ではあるが、主に久美子さんとのやり取りに活用しているというので、具体的な使い方を訪ねてみた。「電話と違ってMCSは履歴が残るのが助かります。あとは電話をするにはちょっと気がひけるような些細なことだけれど、母が生活する上では知っておかなければならないようなことを伝えやすい」(久美子さん)。”些細なこと”とは、例えばAさんから久美子さんに「湯呑みが割れたから持ってきてほしい」と電話がかかってきた時のことだ。久美子さんとしてはすぐに届けなくてはいけないのか、それとも次回の訪問時に持っていけばいいのかが判断できない。そこで、久美子さんは施設に電話をして様子を見てもらったところ、当面は代わりのもので間に合うので急がなくてもよかった。この時は電話だったが、その後はMCSで連絡するようになったという。
「急を要するのかそうでないのかが家族にはわからないというケースは多々起こると思います。ものすごく些細なこととはわかっているのですが、知らないと困る。でも、家族としては、いちいち電話をしてクレーマーと思われるのは嫌なのです。その点、MCSがあれば気軽に連絡が取れますし、先生とも直接コミュニケーションが取れるので本当に安心です」と久美子さん。施設利用者の家族は、同じようなケースに少なからず心当たりがあるのではないだろうか。例えば草竹さん家族の場合、トイレットペーパーが切れた時には施設で補充してもらうように伝えてあるが、Aさんから「トイレットペーパーがない」と電話があると、確かめないわけにもいかない。そこでMCSのタイムラインに「部屋に入った時、ついでに確認をお願いします。切れていたら補充してください」と書き込んでおけば、スタッフ全員がいつでも見られるので不自由がない。久美子さんは「こういう細かい要望も全部クリアしていただいて、母は本当に快適に過ごしています。おそらく他の施設ではこういう対応はしていただけないのではないでしょうか」と話す。反対に、施設スタッフから久美子さんにMCSを使って依頼することもよくある。「血液検査で塩分が少し不足していると判断された時に、梅干しを持ってきてくださいとお願いしました」(入里氏)。そこで久美子さんは梅干しをまとめて預けておき、食事の時に少しずつ出してもらっているという。
家族と繋がることで、MCSが利用者の日常生活を支えるツールに
MCSで繋がっている別の利用者のケースでも、草竹さん家族と同様に施設側から家族に依頼して食材を届けてもらったことがある。食事制限がある利用者の場合、施設としてはそれぞれの制限に見合った食事を提供するが、その範囲を超えた食材に類するものは各自で用意することになっている。「漬物がお好きなのに塩分制限をされている利用者さんがいらっしゃいますが、もう90歳にもなって塩分制限もないでしょう。好きなものを好きなだけ召し上がっていただこうということで、ご家族に説明した上で漬物を持ってきていただきました。なくなったら『追加でお願いします』とMCSのタイムラインに書き込みます」(入里氏)。MCSでやりとりすることで、関係するすべてのスタッフに塩分制限のある人が持参の漬物を食べている経緯を共有できる。「どういう経緯で利用者さんがこの状態なのかということを、MCSのタイムラインを遡れば確認できるのも助かります」(入里氏)。
ケアタウン・ナカノで生活している利用者については、「情報共有といっても緊急性のある医療情報と生活情報とは別だと考えている」と入里氏。「ご家族はお勤めがあったりして、なかなか電話に出られない方もいらっしゃいます。緊急の場合はもちろん電話しますが、そうでない場合はMCSを使う、というように使い分けています。そういうご家族に、電話では伝えにくいような細々した内容についてやりとりできるところがMCSの良さだと思います」。例えば、本人が好きだからと家族が食品やサプリメントなどを送ってくることもよくあるが、そのサプリについて「次はいつ送ればいいですか」と家族が書き込むなど。他にも「利用者さん宛てにこのような郵便物が届いていますが、どうしますか」(施設から家族へ)、「おむつの在庫がないのでお願いします」(施設から家族へ)、「今度ヘアカットをお願いします」(家族から施設へ)など、“細かいけれど必要な情報”のやり取りの例は枚挙にいとまがない。「日常生活の中でそういう発信をしておくと、ご家族も私たちも時間のあるときに余裕を持って用意ができるという面でも役立っていると思います」(入里氏)。
ケアタウン・ナカノでは中野氏が頻繁に顔を出して利用者と対面していることもあり、MCSでの医療情報の共有についてはさほど重視していない。医療的に問題がある場合は即時性が求められることがほとんどだからだ。しかし、医療介護者と家族との関係において、中野氏はMCSの大きな可能性を感じている。「患者、家族とのコミュニケーションツールとして、MCSは絶大な威力を発揮します。生活情報、本当に小さい物事のやりとりですね。同じICTツールでも電子カルテなどはそこのところがすごく欠けていて、それぞれ使い方が違うのです。それから、早朝や診療の合間などの空いた時間だけログインするというように、MCSは割り切った使い方もできる」(中野氏)。
慣れない症例の在宅現場でも安心感を持って看護に当たれる
次に中野氏と病院の専門医とのMCSによる連携、いわゆる病診連携のケースを見ていこう。患者は30歳代、男性、慢性腎不全のBさん。在宅で腹膜透析のため訪問診療、訪問看護師を利用している。話をしてくれたのは訪問看護ステーションまむ鹿児島で管理者を務める看護師の小川志保氏だ。「中野先生から紹介された患者さんですが、私たちのステーションではそれまで腹膜透析に対応した実績がなく、少し不安がありました。そこで勧められたのがMCSでの連携です」。小川氏の所属する訪問看護ステーションではこのケースが初めてのMCSで、「入力が大変そう」という看護師もいて施設としての導入には一苦労あったようだ。病院主治医の松本秀一朗氏(加治木温泉病院 腹膜透析センター長)から「これがないと仕事にならないよ」と言われ、事業所を管轄する法人を説得して導入した。現在、Bさんの患者グループには中野氏と松本氏、慢性腎臓病療養指導看護師の益満美香氏(加治木温泉病院 外来副主任・CAPD認定指導看護師)、小川氏の所属する訪問看護ステーションが参加している。
最初のうちはどう使っていいのかわからず、緊急時以外はほとんど書き込みができなかったという小川氏だが、そのうちMCS活用のコツがつかめてきた。慣れない腹膜透析患者の看護には常に不安が付きまとうが、「ちょっとしたことでも、たとえ先生がオペ中でも、気になったことを書き込んでおくと、いつか見てくれるという安心感があります」(小川氏)。夜中にBさんからコールがあり「こういう処置をしたので、先生、明朝一番でお願いします」と書き込んだことで、中野氏は翌朝しっかり準備を整えてから往診できたということもあった。ドレーン挿入部にトラブルがあった時は、どこまで観察のみでいいのか判断できず、患部の写真を撮ってMCSのタイムラインにアップし、発熱の有無や廃液の状態などを逐一伝えていった。「結果的には再挿入オペになってしまいましたが、必ず2人の先生と専門の看護師さんが見て了解ボタンを押してくれますし、何があっても来てくださるので、とても心強かったです」(小川氏)。使ってみて初めてMCSの便利さがわかったという小川氏、今後は患者家族との連携にも活用していきたいと意欲的だ。ちなみに、当初「入力が大変」と言っていた看護師には、ボイス機能(音声入力機能)が助けになっているそうだ。
「あまり医療が介在しない方がハッピーなこともある」
ナカノ在宅医療クリニックを開業した20年前から、中野氏の中でブレないのが「病院の中の医療(キュア志向の病院医療)と、病院の外の医療(ケア志向の在宅医療)では、哲学も文化も違う」という考え方だ(下記参考文献を参照)。病院は病気を治すところであり、糖尿病であれば血糖値を下げるために食事制限や投薬で治療する。「そういう治療が必要な時は病院へ行った方がいい。ただ、病院の外の医療では、医療があまり介在しない方がハッピーな場合もある。薬をやめたら元気になるとか、楽しくやれば命は少し縮まってもいいという感覚になるとか。なぜなら、そこには生活があるからです」(中野氏)。在宅であっても病気を治療する医療の場合は病診連携が有効で、そのためのツールとしてもMCSは役立つが、電子カルテでも情報共有は可能だ。しかし、患者の生活を重視した在宅医療においては、患者と医療介護者が敷居なくコミュニケーションを取れることがとても重要であることは、草竹さん家族のケースを見ていてもよくわかる。その意味で「MCSは在宅医療と相性がいい」と中野氏は強調する。また、患者や家族との直接のコミュニケーションについては躊躇する医療介護者も多いが、中野氏は患者と直接繋がることに迷いがない。
最後にもう一度、草竹さん家族に話を戻そう。久美子さんはよく、MCSでビデオレターが送れたらいいと思うことがある。「母は私の飼っている犬のことが大好きで『会いたい』と言うので、動画を撮って見せてあげたい。でも、母はスマホが使えないのでどうすればいいかと」。この話を聞いた中野氏は早速方策を考えてみようといい、笑顔でこう言葉をかけた。「そういう風に、ICTを使って楽しむという発想はすごく大事ですよ」。
参考文献:中野一司:続・在宅医療が日本を変える-キュアからケアへそしてケアからキュアへ-【ナカノ理論(問題解決理論)の構築と実践】。ドメス出版、2017年
取材・文/金田亜喜子、撮影/萩原睦