コミュニケーションツールが支える医療介護者の連携

関西都市部に独居する93歳男性の在宅医療を多職種連携で支える(大阪・豊中市)

▲光本隆さん(93歳)

大阪市に隣接する人口40万人の中核市、大阪府豊中市。豊中市医師会の在宅医療担当理事で、市内を中心に多職種連携の在宅医療に携わる「つじクリニック」院長の辻毅嗣医師は、在宅医療に適したコミュニケーションツールとしてMCS(メディカルケアステーション)を導入し、今後は隣接する他の市との間でもその連携を深めていきたい考えだ。今回は、心不全の持病がありながら、豊中市内の自宅に独居する93歳の患者とその家族にスポットを当てる。多職種連携による在宅医療のチームでどのようにMCSが利用されているのかを紹介したい。

心不全の治療を受けていたかかりつけ医に在宅医療を相談

「つじクリニック」から車で約5分の集合住宅に独居する光本隆さんと辻医師が初めて出会ったのは2016年。近隣の消化器内科医の紹介で、外来患者として光本さんの心不全を診察したのがきっかけだった。しかしその後、病状悪化のため豊中市の基幹病院である市立豊中病院のCCU(心臓内科系集中治療室)へ入院することとなる。

「退院後は一時的に有料老人ホームに入居されたようですが、自宅に戻りたいというご本人の希望があると息子さんから相談を受け、そこから光本さんの在宅診療がスタートしました」(辻氏)

▲隆さんの息子の賀一郎さん(滋賀県在住)

 現在、家族と共に滋賀県で暮らす光本さんの息子・賀一郎さんは、週に1度のペースで、父の様子を見に豊中の家を訪れる。賀一郎さんは生まれも育ちも豊中。隆さん夫婦は1995年の阪神淡路大震災で実家が被災したため、同じ豊中市内からここに越してきた。「死ぬんやったら家がいい」というのが光本さんの昔からの口癖。高齢で持病の心不全もある状態で、離れて暮らすのは心配事も多いのだが、言い出すと聞かない父の性格はよく分かっていた。

「母が4年半前に亡くなって以来、親父はここに独居。それまでは母とふたり暮らしでした。心不全の入院治療の後、有料老人ホームに10日間くらい入居しましたが、絶対に嫌だと拒否しまして(笑)。家がいい、家がいい、と本人が強く言うので、もともと面識のあった辻先生に相談し、在宅医療の道を選びました。看護師さんやヘルパーさんに任せっきりで申し訳ないですが、父にとってもその方がいいのかなと」(賀一郎さん)

高齢の開腹手術から再び在宅医療に戻り、以前よりも元気に

 光本さんを突発的な病変が襲ったのはその直後。鼠径ヘルニアの嵌頓(かんとん)による腸閉塞だった。年末から始まった腹痛がひどくなり、急遽、今年1月1日に千里救命救急センターで緊急手術を受けることになる。辻医師とケアマネジャー(以下ケアマネ)の武田治代氏を中心に、訪問看護師、ヘルパー、薬剤師の多職種連携チームの在宅医療が順調に機能し始めた矢先だった。

 賀一郎さんはそのとき家族と滋賀県の自宅で、辻医師は京都の実家で正月を迎えていた。「辻先生は腹痛のことを気に掛けてくださり、大晦日にも本人に電話で様子を確認してくれていました。しかし、ヘルパーさんから親父の様子がおかしい、食べ物を受け付けないと連絡がありまして。ギリギリの状態まで痛みを辛抱していたのですね」

▲年末年始、急変時の情報共有。私立豊中病院は別の緊急手術中で対応が困難だったため、急遽、大阪府済生会千里病院救命救急センターへ。電話連絡の後に入院の経緯が詳しくアップされている様子がわかる

 大晦日に光本さん宅を訪問していたヘルパーの泉久子氏も振り返る。

「入院が1月1日ですから、ご家族が一番大変でした。前日から様子がおかしかったので、賀一郎さんに電話すると、辻先生に確認した後、車で本人を連れて病院の救急外来を受診してくださいました。こんなに元気になって帰ってこられて本当によかったです」

光本さんを担当していた訪問看護師の藤原恵子氏も振り返る。

「身体もきつかったでしょうが、気持ちがかなり落ち込まれているようでした。自宅に帰っても寝ていることが多くて。それが今は”便秘症や認知症にならないためにはどうしたらいい?”と、自分からスタッフに質問するほど気力が回復。認知症予防の脳トレなどに積極的に取り組んでいると聞きます」

 ヘルパーさんに”身体にいいから”と勧められて、冷凍の枝豆をおやつに食べたり、塩辛いものをできるだけ控えたり、健康のため、一人で食べるものにも気を使うようになった。枝豆は電子レンジで温めて、熱々を好みの塩加減で食べるのがお気に入りだ。隆さんの生きがいは、何といっても美味しいものを食べること。特に肉料理、ステーキが大好物で目がない。隆さんの健康の秘訣は自前の丈夫な歯だ。入れ歯は1本もなく、すべて自分の歯でしっかり噛んで食べている。

「ステーキだって食べられるんです。本当は大好きな百貨店のレストランでフルコースを食べたいんですよ」と、賀一郎さんの妻、佳子さんは笑う。2度目の入院から退院した際は、毎日、豊中の家で付きっきりで看病した。今、光本さんは孫と家族4人で出かける食事を何よりも楽しみにしているという。

「私が心不全の診察で初めて会った2年前より、足は弱っているものの、今の方が元気なくらいです。心不全と腸閉塞、光本さんの年齢で2度の入院、しかも開腹手術を経て自宅に戻ってこられたのは、数少ないケース。病院で寝たきりになっても不思議ではない状態でしたので、『一人で出かけたい』と言うくらいにまで回復されたことを大変うれしく思います。気候がよくなったら、一度ご家族で1泊くらいの旅行に行かれるのもいいかもしれない」

辻医師の「旅行」という言葉を聞いた瞬間、「えぇなぁ。景色のいいところへ行って、美味しいもの食べたいなぁ」と顔を輝かせる隆さんだった。

心不全に欠かせない体重測定の管理にMCSを活用

「心不全の疾患管理は体重変化の記録に尽きます」と、辻氏。体重の増加は浮腫(むくみ)のサイン。身体にむくみがあると心臓に負担がかかるため、利尿剤で尿の排出を促す必要がある。「つじクリニック」では、入退院を繰り返す心不全の外来患者が、訪問看護師による体重の管理だけで入院回数を減らすことができたケースも少なくない。

 豊中市では医師会を中心に、2018年4月より、多職種連携や患者家族とのコミュニケーションを促すICTツールとしてMCSを段階的に導入。「虹ねっとcom」の愛称で利用されている。光本さんの住むエリアは、モデル地区として2年前から試験運用が始まっており、患者の体重やバイタルチェック、服薬管理、離れて暮らす家族との情報共有にMCSが活用されている。

「心不全の患者さんが来院されるのは、たいてい体重が5〜10kg増えてから。辛いのを我慢して、入院が必要な状況になっていることが多いのです。一方、在宅医療の場合は、訪問看護師が患者の体重を厳密に記録して、毎週MCSにアップしてくれるので、2〜3kgの体重の増加でタイムラグなく利尿剤の投与を増やすことができます。そして安定後は、もちろん記録は取りますが、『今はもう順調です』という情報共有だけで、MCSに体重をこまごまとアップしません。それでもご家族は安心されますから」

 光本さんの場合、安定しているときの訪問診療は2週間に1度くらいの頻度。

「訪問看護師がスマートフォンで撮影したバイタルや体重の表をMCSにアップしてくれるのがとても助けになっています。光本さんが元日に救命救急センターで緊急手術を受け、退院後に担当者会議を光本さんの部屋で開催しましたが、訪問看護はそこに参加できませんでした。そこで担当薬剤師に依頼し、会議後に退院時処方と、退院後に追加する処方中止などの情報をMCSにアップしていただきました。おかげで退院後、在宅復帰時に生じやすいトラブルもなく、スムーズに在宅療養を進めることができました。これも多職種連携の意義を強く感じた出来事でした」(辻氏)

医師任せではない、多職種のスタッフが主体的に発信する関係をMCSで構築

 薬剤師の笠嶋智子氏と光本さんの関わりは昨年6月からで、1年半近くになる。

「当初は訪問看護師さんが服薬管理を任されていたのですが、光本さんはその頃、3〜4軒の病院にかかっていました。それぞれ出る薬を管理することがだんだん困難な状況となり、”助けてほしい”と依頼されたのが始まりでした」(笠嶋氏)

▲薬剤師の笠原智子氏

以前のコミュニーションは、何か必要があれば医師や家族と電話で連絡するのがメイン。しかし、今はほとんどのやりとりがMCSに置き換えられているという。これまで入院時に患者家族へ度々電話で連絡を取ることは、とても心苦しいことだと感じていた笠嶋氏。MCSを気に入っているもう一つの理由は、家族と直接やりとりできるグループを薬剤師側から立ち上げることができることだ。

「豊中市の『虹ねっとcom』(MCS)では薬剤師も患者さんのグループを作ることができるので、薬剤師としてご家族と直接、情報共有できるのは本当にありがたいです。今は”いついつまでに薬がなくなりますから受診をしてください”というメッセージが簡単に共有できます」(笠嶋氏)

 豊中市では、すでに薬剤師の多くが「虹ねっとcom」に登録し、電話やファックスに代わるコミュニケーションツールとしてMCSを活用している。今後はこの取り組みを、池田市、箕面市、摂津市など隣接する他市との連携で広げていきたいと辻医師は考えている。

「医師の発信だけではなかなか進みにくいので、登録者を増やし、多職種の方々がそれぞれにグループを立ち上げて、より使いやすいツールに育てていきたい。今後の『虹ねっとcom』は医療と介護の連携からより発展し、地域包括ケアの多職種連携の要となっていくことが予想されます。行政や消防、警察との連携も今後は進めていきたい。行政レベルでも豊中市から他市へと取り組みを発信していくようにお願いしています」(辻氏)

▲辻氏の患者タイムラインには患者の顔写真が登録されている。多職種間連携の重要なポイントだ

緊急時は電話、それ以外はMCSに。短いコミュニケーションが家族の安心材料に

 患者家族である賀一郎さんのMCSの利用はここ半年くらい。「最初はピンとこなかった」が、入退院時の情報共有など、今は医療や介護のスタッフ間の連携にとても役立っていることが理解できるようになった。

「光本さんのご家族に電話するといつも丁寧に受け答えしてくださって、私たちを信頼してくれていることが伝わり嬉しいですね。緊急を要するような悪い知らせは直接お電話で話すべきだと考えますが、”今は順調です”というような良い知らせはMCSでその都度確認していただけます。私たちが普段何を考え、どういう医療を行なっているかがよくわかるので、今後も継続して見てもらえればと。滋賀県と豊中はちょっと離れているが、その距離を十分縮めてくれる役割があると感じています」

▲辻医師と患者家族とのMCSタイムライン

 光本さんの2DKの住まいはいつもきちんと整理整頓されていて気持ちよく過ごせる空間だ。電子レンジや電気ポットを使って、簡単な調理は自分で。自分でできないことはヘルパーさんが来たときに頼めばいい。夫婦ふたりで過ごした懐かしい思い出とともに、今は穏やかな時間を送っている。 「妻が生きていた頃はよく怒られていました(笑)。でも怒られてもふたりの方がよかった。寂しいけど今は一人でもエンジョイしよう、今日を最高の一日にしようといつも心がけています」

部屋の奥に飾られた奥さんの写真に目をやりながら、光本さんは目を細めた。

▲後列左から武田治代氏(ケアマネ)、光本佳子さん、辻毅嗣氏(医師)、笠嶋智子氏(薬剤師)、木下絵美氏(つじクリニック)、藤原恵子氏(訪問看護師)、前列左から泉久子氏(ヘルパー)、光本隆さん、賀一郎さん

この記事のポイント!

・豊中市内の自宅に独居する心不全の持病がある光本隆さん(93歳)は本人の強い希望で在宅医療を選択
・体重の増加は浮腫(むくみ)のサイン。つじクリニックでは、心不全の外来患者が、訪問看護師による体重の管理だけで入院回数を減らすことができたケースも少なくない
・『虹ねっとcom』では薬剤師も患者のグループを作ることができ、家族に直接”いつまでに薬がなくなるので受診してください”など連絡できる

取材・文/松尾幸、撮影/貝原弘次

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