腹膜透析×多職種連携で叶った「普段どおりの生活」(鹿児島)前編
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腹膜透析×多職種連携で叶った「普段どおりの生活」(鹿児島)後編
主に高齢の慢性腎不全患者に対して、腹膜透析治療の導入を積極的に進めている鹿児島県の医師・松本秀一朗氏(加治木温泉病院 腎不全外科長・腹膜透析センター長)。その取り組みについて、「ICT多職種連携が腹膜透析をよりユビキタスな医療へ」(2019年5月14日公開)で詳しく紹介したが、取材から約9カ月を経て、国内における腹膜透析を取り巻く状況は少しずつ変化してきている。今回は続編として、実際に腹膜透析治療を受けている患者・家族に治療法選択までの経緯や日々の様子と施設での腹膜透析治療について話を聞いた。患者・家族と現場で奮闘する医療介護者の声から、松本氏を中心とした多職種連携によって地域で慢性腎不全患者の暮らしを支える姿を伝えよう。
■PROFILE
松本秀一朗(医師)/加治木温泉病院 腎不全外科長・腹膜透析センター長
東京都出身。国内の大学医学部関連病院に勤務し、米国の大学の移植外科にて臓器移植の臨床・研究を経た後、宇和島徳洲会病院にて3年間で約200例の腎移植を経験。2012年より鹿児島徳洲会病院腎不全外科部長として腎移植や透析アクセス手術のほか、国内有数の腹膜透析導入を行ってきた。2017年2月に加治木温泉病院に移籍し、腎不全外科および腹膜透析センターを開設、病診連携による腹膜透析を積極的に進めている。
微増ながら未だ認知度は低い、日本の腹膜透析事情
日本では長い間、「人工透析=血液透析」という認識が浸透してきたため、特に高齢の慢性腎不全患者にとってメリットが大きいとされる腹膜透析についてはほとんど周知されていない。治療法の是非ではなく、選択肢自体が提示されてこなかったという意味で、患者に不利益な状況が続いていたのだ。しかし、入院透析患者の増加傾向を重く見た厚労省は、最近ようやく腹膜透析や腎臓移植の普及を後押しする方向に舵を切り、平成30年度の診療報酬改定では腎不全患者に対して3つの治療法を十分に説明することが義務化された。
海外に目を向けると、アメリカでは2009年から2013年の5年間で腹膜透析患者が約3万人から約4万人に激増しており、今年7月にはさらに大きな一歩を踏み出した。トランプ大統領が「2025年までに腎臓移植と在宅透析を14%から80%まで増やす」との大統領令に署名したのだ。これは、患者の負担が大きく医療費が高い血液透析を減らし、患者のQOL向上と医療費の削減に繋げる決断であり、「アメリカの動きに日本が追随する可能性もある」と松本氏は期待する。とはいえ日本で長年にわたって浸透してきた血液透析一択傾向が一朝一夕で変わることはなく、全国的に見れば世間一般における腹膜透析の認知度はまだ低いのが現状だ。そんな中、鹿児島県姶良市の加治木温泉病院では、松本氏が赴任した2017年5月から2019年12月までに、腹膜透析治療を77例導入している。このように拡大しつつある背景には、腹膜透析という在宅・多職種連携によって支えられる治療法が地域包括ケアシステムにマッチしていること、治療のコントロールに欠かせないICTツールが医療介護現場で普及してきたことがある。松本氏がカバーするエリア内でも訪問看護ステーションや居宅介護支援事業所といった施設は年々増え続けており、MCSを含めたツールの導入も進んでいるという。今回、松本氏の勧めにより腹膜透析を選択した3人の患者と、うち2人の家族に話を聞くことができた。在宅腹膜透析治療のリアルな様子を伝えよう。
96歳にして好奇心旺盛。家族と外でランチも
・高木登さん(96歳、男性)のケース
娘・成美さんと同居、息子・秀人さん夫婦も同じ建物の別フロアに居住。90歳を過ぎるまで大病もなく、2015年頃から腎機能の低下が見られたが経過観察に。2016年4月、93歳で心不全を起こし自宅近くの病院に入院。当時その病院に勤務していた松本氏が主治医となる。高齢のため腹膜透析を勧められ、本人も納得のうえで選択。当初はCAPD(連続携行式腹膜透析)導入だったが、2018年8月からはAPD(自動腹膜透析)に切り替えた。現在、週2回の訪問看護と月1回の通院。
高齢のため、松本氏が主治医となる前に別の内科医からも腹膜透析を勧められていた高木さん。そのため本人、家族とも迷うことなく腹膜透析を選択した。「血液透析治療をしている友人を見ていて大変そうだと思っていたので」(成美さん)。「以前の職場で厚生関係の仕事を担当していた関係で血液透析の大変さは知っていました。ネットでも調べ、本人の体に負担が少ない腹膜透析に賛成しました」(秀人さん)。当初は手動によるCAPDだったため、家族が昼間に数回の透析液を交換する必要があったが、ちょうど秀人さんが定年退職したばかりで昼間も自宅にいられたこともあり、兄妹2人で難なく続けることができた。
昨年8月に自動腹膜灌流用装置「かぐや」(バクスター社)を導入してからは、毎夕、秀人さんか成美さんが機械をセッティングし、高木さんが就寝中の22時から朝6時まで透析が続く。途中の透析液交換も自動だ。「初めは機械音が気になりましたが、今は慣れました。私は機械操作に不安があり、困った時は夜中でも上階の兄に来てもらっていましたが、最近はそういうこともほとんどありません」と成美さん。登さんに夜は眠れるかと尋ねると「はい。最初は(カテーテルの出口部が)痛くてね。でも、慣れてきました」としっかりした口調で答えてくれた。たまに機械のマイナートラブルはあるが、たいていはメーカーサポートへの電話1本で解決するという。週に2回訪れる訪問看護師の1人は、14年前に他界した登さんの妻の看護も担当していたという気心の知れた看護師だ。何かあればすぐに連絡を取れる状況で、訪問看護師は松本氏と益満美香氏(加治木温泉病院外来副主任・慢性腎臓病療養指導看護師・CAPD認定指導看護師・フットケア指導士)とMCSで繋がっている。「訪問看護師さんには本当によくしていただいています。その後ろに松本先生と益満さんがついていてくれるのも心強いです」(秀人さん)。
戦時中は満洲出征、戦後はシベリア抑留生活という過酷な経験をしてきた登さん。昔から勉強好きだったといい、96歳になった今でも「新しいことを吸収しようとする意欲がすごい」(秀人さん)。毎日、歴史の勉強や数独を楽しむなど、元気に日々を過ごしている。外出時は安全のため車椅子だが、室内では両杖での歩行も可能だ。腹膜透析にしたおかげで、本当に普通の生活を送ることができていると、高木さん兄妹は口を揃える。身の回りのことは、少し手助けをすればほとんど自力ででき、歯の状態が良く食欲も旺盛。夜間の自動透析にしてからは昼間の時間が自由になったため、家族でランチに出かけることもあるそうだ。現在は介護用に整えた自宅1階で生活しているが、以前は日当たりのよい3階で暮らしていた登さんは、インタビューが終わるころ「(もっと元気になって)3階に戻りたい」と目標を口にした。
寝たきりに近い状態から回復、趣味の籠づくりを楽しむ毎日
・青山次男さん(83歳、男性)のケース
一人娘の岡山洋子さんと同居。2018年4月、自宅で倒れて救急搬送入院。腎不全、十二指腸潰瘍穿孔、腹膜炎等と診断される。透析導入となり同年5月にシャントを増設したが状態が悪く、12月に洋子さんの親族の主治医でもあった松本氏にセカンドオピニオン受診。当時、本人は尿毒症のため歩行もままならず、意識も朦朧として治療方針を判断できる状態ではなかったため、洋子さんの判断ですぐに腹膜透析に決める。当初よりAPD(自動腹膜透析)を導入。現在、毎日の訪問看護と月1回の通院。
最初に顔写真を掲載してもいいかと尋ねると「じいちゃん、元気な姿をみんなに見てもらいたいよね」という洋子さんの言葉にうなずいた青山さん。その満面の笑顔は、とても1年前に寝たきりに近い状態だったとは思えない。最初に緊急入院した病院の医師からの説明について洋子さんは「一応、腹膜透析の説明も受けたのですが、『自宅でやらなきゃいけないから大変だよね』と消極的で、選択肢はないも同然でした」と振り返る。シャント増設後の患部の状態が悪く心配になった洋子さんは、初回の血液透析が予定されていた直前、藁にもすがる思いで松本氏のもとを訪れた。迷っていた洋子さんの背中を押したのは、待合室でたまたま居合わせた3人の透析経験者の言葉だった。「みなさん『経験上、絶対に腹膜透析がいい』とおっしゃったのを聞いて心を決めました」(洋子さん)。松本氏の自信に満ちた診察と益満氏の親切な対応に安心感を覚えたこともあり、初診の日に腹膜透析治療を始めることが決まった。
カテーテル留置手術のための入院中、透析機械の操作手順などについて看護師から説明を受ける。それでも実際に始めるまでは不安でいっぱいだったという洋子さんは、ここでもまた待合室でのコミュニケーションに救われる。「近くにいらした看護師さんが『手順が画面に表示されるから、その通りにやれば大丈夫』と言ってくれて」。また、疑問や心配事を逐一松本氏に質問すると、必ずしっかり答えてくれる。その繰り返しで日ごとに信頼感が増していった。退院しても毎日訪問看護が入るため「何かあれば看護師さんに電話すればいいと気持ちを切り替えたら、不安もなくなりました」。在宅での腹膜透析治療がスタートして1年、特に大きなトラブルもなく順調で、血液透析治療で起こりがちなむくみや痛みなどの体の負担はほとんどない。「毎日、父が『ありがとう』と言ってくれるのが救い」と洋子さんは笑う。松本氏のもとを初めて訪れた時は、歩くことも話すこともできない状態だったという青山さんだが、今は杖なしで自力歩行できるまでに回復している。買い物に出ることもできるようになり、家では毎日、趣味の籠作りを楽しんでいるそうだ。
病気になる前と大きく変わらない生活を送れるほか、食事制限が少ないことも腹膜透析の大きなメリットだ。「以前はとにかく食事制限が厳しくて料理が大変でした。制限食のお弁当もあまり食べてくれないし。腹膜透析を初めてからはなんでも食べられるようになり、父も私もストレスがなくなりました」(洋子さん)。今では益満氏に水分量のアドバイスをもらうことで、大好きな焼酎も飲めるようになったという。最近の体調を本人に尋ねると「まあ、いい。どうも(悪いところは)ない」と、また笑顔を見せてくれた。そんな青山さんには、自家菜園で育てた野菜を生で食べたいという“野望”があるが、風邪や転倒を心配する洋子さんの言うことを聞き入れ、今のところ畑は我慢している。
取材・文/金田亜喜子、撮影/萩原睦
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腹膜透析×多職種連携で叶った「普段どおりの生活」(鹿児島)後編